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山本 耕一郎さん

【まず、ここに住もうと思ったきっかけを教えてください】

えっと、八戸に来たのは2010年の夏前、6月くらいかな。あの、「はっち」ってできたでしょ?2011年に。それのオープニング事業でお仕事をいただいて、2010年の6月に初めて来ました。そのときは茨城県に住んでいて、行ったり来たりしながらプロジェクトをさせてもらっていたんです。トータルで4ヶ月くらいいたのかな。それで、プロジェクトが終わったのが2011年の8月終わりくらいで。そうやって行き来する中で八戸の事が大好きになったんですよ。2010年から来ていた中でたくさんの人に知り合うわけですよね。八戸の人に。それによって八戸の人が好きになったり八戸が好きになったり。環境とか、文化とか、食べ物もそうだし。「いつか住みたいな、ここに移住してきたいな」って思うようになってね。 

 

だから、その知り合った中のたくさんの人たちに「僕、八戸に移住を考えているんだけど」って相談をしてみたの。そうしたらいろんな人が助けてくれたんです。「街中じゃない、田舎の静かな1軒家」っていう条件も言って探したらたまたまここを紹介してもらって。で、2012年にいろんな条件がクリアされて八戸に来ることが可能になったんです

 

W ここって、元々ゴミ屋敷だったって聞いたんですけど、、、

 

うん。はじめて来たのが2012年の5月。その時に初めてこの家の中を見させて貰って。大家さんは大阪に住まわれていたんですけど。たまたま来られてお会いして。ものすごいゴミ屋敷だったんだけど、僕は面白くなってきちゃって。即決で決めたんですよ。ここ貸してくださいって。で、月1万でずっと借りているんですけどね。 

 

W えっ、1万!?やすいですね! 

 

でもゴミ屋敷ですからね。笑 12月で借りて丸2年になりますね。住み始めてから。 

 

W ここがごみ屋敷だったなんて信じられないです。

 

うん。ゴミ屋敷だったからいろんな人に声かけて。「大掃除大会しましょう」とか「床はがししましょう」とか声かけたら毎回2、30人来てくれて。なんか、人生生きている中で床をはがすという行為はなかなかないと僕は思うんです。笑 

 

一同 笑 

 

僕自身も楽しいし、来てくれた人たちも興味あってきてくれたんだと思うんだよね。で、そんなんやりながら、壁張るぞ、天井張るぞって。これもみんなで張ったし塗るぞとか。天井も全部塗装してあるやっすい普通の杉の板なんですけど。皆で塗装して、ビス打ちまでやって。っていうことでちょっとずつできていって。だから僕は住むこと自体をプロジェクトにしようと。そういう発想を借りたときに考えたんです。ポンポンポーンとこういうことできるな、ああいう事できるなと。ワクワクしたので僕はこの家を借りました。 

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名古屋市出身

筑波大学芸術専門群を卒業後4年半コップなどのデザイナーを経て、イギリスに留学。Royal College of Artを卒業。

 

2012年から八戸市南郷区島守の民家を改装し、まちぐみの組長(※1)などコミュニティアーティストとして活躍中。

 

山本耕一郎HP  http://kyworks.net/index.html

【山本さんちとして人が集まることに対してどう感じますか】

すごくうれしいことですね。実際来てくださーい、遊びに来てくださーい、バー(※3)の時もね、呼びかけてやるんですけど、村の人はやっぱ遠慮するんですよね。近所の他人の家の敷居を跨ぐっていうことを遠慮されているような雰囲気はあるんですね。でもちょっとずつ来てくれるようになったらいいなあって思いつつ。だから慣れ、慣れていけばねいいでしょう。なんか、普通ですよ。

 

ここに30人くらい来ますからね。バーのときは。ぎゅうぎゅうなんですけど。逆に暑いくらいで。なんか、変な場所が出来ることによって、これが無かったらこの村はずっとおんなじような生活が続いていくわけだけれどもなんか変なものが突然できて、変な奴が来てなんか毎月やってんな、みたいな風にちょっと村が動く?というか…そういう雰囲気も、空気作りもしたいなと思って。 

 

W  村が動く…。周りの変化みたいなのも…?

 

えっと・・・変化はあまり・・感じ、感じるのかな?まあ微妙ですね。まだ2年だから。あの、あると思いますよ。僕は直接聞いたりはしないけど、みんなが「気にする場所」になってくるわけだ。バーのチラシを村だけに新聞折り込みしているんですよ。村の人興味ある人は読んでくださっている。毎月「あ、またやるんだね」といったことを知ってくださっているので来る、来ないは別としてもなんかやっているんだねっていうのは伝わっている。

 

ただの宣伝だとハイハイって感じで終わると思うんだけど、毎月のマスターとの対談をしているんです。バーが終わった後。で、この人たちがバーについてどう思っているのか、島守についてどう思っているのかとか、こういって活動についてどう感じているのかとか、っていうことをざっくばらんに喋ってもらっているんですね。これがついていることで「あ、読んでみるか」と、読んでくれている人は読んでくれていて。だから、核になるのは50代60代が多いんですよね。で、20代30代40代がどんなことを考えているのかっていうのを少しでも知ってもらおうと思って。会う人で「読んでいるよ」って言ってくれる村の人もいるし。今度行けたらいくねって言ってくれるようにはなっているけども、なかなか。

 

まあ、時間はかかるでしょうね。むかーしから何十年もここに住んでいる人を変えていくっていうのはなかなか一日じゃできないことで。よく、まちを変えるのは「よそもの」「わかもの」「ばかもの」っていうけど。そういう人材の僕がいて、突然移り住んできてなんかやっているっていうのは、村の人にとってマイナスではないと信じて僕はやっているけどね。まあ実際「出てけ」とは、まだ言われていないので受け入れられているんだろうなって気はします。

 

W  近所の方と関わりがあるんですね。

 

うん、顔は覚えてもらっているし向こうは絶対知っているわけだよ。突然へんなでかいのがひとり(きたから)。僕はなかなかね、顔と名前が一致まではしないけれど、挨拶するくらいは。すごい可愛がってくれているおじいちゃんとかもいますし。二年やそこらじゃねっていうのはありますね。

 

(本を取り出して)神山って四国にある町ですごい大成功されている街ですけど、ここも今の成功に至るまで20年かかっているんですよ。20年前からやっているところがやっとメディアに取り上げてもらえるようになるくらいの成功を収めていると。でも、これからもどんどんやっていくんだろうけどね。そういうこと考えるとまだ10分の1ですよね、2年って。だからここに30人が毎回来てくれるっていい方ですよね。月1回よその地域からこの過疎の村に来るって行為自体がすごいことですよ。今までになかったことでしょ?

 

W  では、長い期間を見据えてこの活動に取り組まれているのですか?

 

もちろんそうですよ。永住というか拠点はここにして仕事は県外とか多いのでいないことも多いんですけど、居る時はね。

 

W  この活動は、やっぱり楽しいですか? 

 

楽しいですね!一応僕のうちなので笑 30人も来てくれてみんなが楽しそうにしてくれるのが嬉しい。やって良かったって思うね。

 

 

※1 「まちぐみ」とは、八戸市の中心商店街にまち歩きが楽しくなる仕掛けを、目に見える形で、まちぐるみで行うことを目的にしている。その組長は山本さん。

 

※2 「はっち」とは、2012年2月11日に開業された八戸ポータルミュージカルの愛称で八戸市  中心街活性化の役割を担う。

 

※3 「barスマモリ」とは、山本さんちで月一回開かれるbarで、マスターは山本さんではなく「やりたい人」。12月5日現在で9回開催されている。

Writter

クマガイ コウキ

 

青森県立保健大4年

 

函館で青森のりんごを

物々交換してきちゃいました。

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