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古川 篤さん

【弘前出身とお伺いしたのですが、そもそも、どうして八戸に来ることになったんですか?】

 

 はい、生まれは弘前ですね。弘前の大学の経済学科を出て、卒業後は大手の小売り企業に入りました。就職してからは東北北海道を中心に10年ほど、売り場作りとか店舗の開発事業なんかをやっていました。はじめのころは「一生地元に戻る気はない」って気持ちでやっていたんですけど、結婚して子供も出来たってころに、改めて将来のこと考え直してみたんです。

 

キャリアも積んである程度の立場になって、相変わらず転勤族。家族にはほとんど会えないで、全国各地を転々としながら、毎日やすみなく働いている。そういう未来が簡単に想像できてしまったから、もう少し違う生き方がしてみたいなって思うようになったんです。ちょうどその時、転勤で各地方に住む機会が多かった事もあって、地方に根を張って働くことに興味を持ち始めていた時期でもあったし。それで、自分の故郷の弘前や、奥さんの故郷の八戸ってどういう仕事があるのかな…って思って、当時の仕事を続けながら青森の仕事を調べた結果、今みたいな感じに…っていう流れですかね。

 

W それで、どうやって今の仕事を見つけたんですか?

 

最初は全然見つからなかったです。「八戸で仕事って、何があるの?」って感じ。魚も嫌いだったし(笑)。

 

W 嫌いだったんですか!?

 

大嫌いっていうか苦手で手を出さなかったって感じです(笑)。小さいころから箸を使うのが苦手なのと、生臭いのがとにかく嫌で、ずっと食べないできたんですよ。でも、転勤したり結婚して八戸にたまに来る機会が出来るようになった時に、八戸の人に「まあ食ってみろさ」みたいなノリで食べさせられた魚が、本当においしかったんです。後ろからぶん殴られたくらいの衝撃でした。そんな経験が何度かあった時に、魚嫌いの自分が、魚で商品を作ったり売ったりしていたら面白いなって思ったんですよね。

 

そこからは特に求人でてるか出てないかは関係なく、水産に関係ありそうな会社に自分を売り込んでみました。

 

別に、相手が自分に興味がなきゃそれまでだなあって気持ちでやってたんで「今求人有りますかー?」「僕前の会社ではこういうことやっていたんですけどー」って、好き放題喋りまくりました。それで、何社かに声をかけた中で今の会社が自分の事を面白がってくれたみたいで。それから1年位かけて前の仕事を引き継いでから、今の会社に移りました。

 

嫌いなものを好きなものに変えていくことをやってみたいなって気持ちと、先が見えないことって面白そうだなっていう単純な好奇心。それと社会人として働いて10年たって、何か青森のために自分が出来ることはないかなって考えたのが、僕の転職、八戸への移住の動機ですね。

 

W 紆余曲折あったんですね。

 

そうそう。最初からここで働いていたわけじゃなくて。今でこそハマだ魚だっていっているけど、初めは全然八戸のこと知らなかったわけですよ。

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1976年生まれ、青森県弘前市出身。地元・弘前大学卒業後、小売・流通業界で10年間従事。東北各地にて店舗運営や売場構成等の管理業務を歴任後、2008年八戸市へ移住し、八戸缶詰(株)へ所属し、企画業務を担当。

2011年、東日本大震災を契機に、特定の組織に属さない任意団体「八戸ハマリレーションプロジェクト」を発起人として水産業界有志と共に立上げ、八戸ブイヤベース他様々な企画を実施。

会社では企業グループ内・味の加久の屋の鯖缶詰「八戸鯖」や「いちご煮」のCMリニューアルなどの企画を行なう傍ら、社外団体の企画・運営を同時に行なっている。

 

八戸ハマリレーションプロジェクトHP:http://hhrp.jp/

【古川さんは今八戸ブイヤベースを企画運営されていますが、それは八戸缶詰の社員としてやっているんですか?】

 

直接会社の仕事のようには見えないかもしれませんが、僕の仕事としては認められているというか…。分かりやすく言うと、企業にいるスポーツ選手みたいな感じ?ちゃんと社内の業務もこなしつつ、社外では八戸ブイヤベースの運営スタッフとしても働く。全部含めて、僕の仕事ですね。

 

W 五郎丸さんみたいな感じですね。

 

あんな凄くないけど、会社の仕事も外でも…っていう意味では近いのかな(汗)。午前中にいちご煮のこと考えて、午後はブイヤの事やってるし。

 

W それって、会社の中での立ち位置は大変じゃないですか?

 

半ば諦められているんじゃないですかね(笑)。半分遊んでいるって思われているかも。でも僕も、僕の考えを認めてくれている社長も、結局は八戸の水産を活かしていろんなことを企画していくことが地域のために重要だと思っているわけですし。そのためには、会社っていう枠組みがない方がいいこともあります。事業予算も決算も全部自分達でやっているし、そういうのは会社内で何か立ち上げるときにも活きてくるものです。会社の外でやっていることも、中でやっていることも、最終的には「八戸への想い」につながるわけですから、両方を両方に還元しながら上手くやっているって感じですね。そういうのを、経営者の立場ではなく、一社員の立場から起こしていくってのは、僕のモットーでもあります。

 

W なるほど…。でも、正直なところお金のやりくりは大変じゃないですか? どのようにされているんでしょうか。

 

基本は自助努力、ですね。そもそも、八戸ブイヤベース立ち上げた時なんか、資金は0円ですもん。

 

W えー!!0円!!

 

そうなんです。だから最初は市内の企業さんを一軒ずつ回って、僕らのやりたいことを説明しに行きまくりました。それに対して「おもしろいやつだなぁ」「じゃあ、1万やるからなんかやってみろ」みたいなのを集めて、続けていったんです。で、蓋を開けてみたら、幸運にもお客さんも集まってくれるようになったので、だんだんと規模が広がってきて。皆さんからいただいたお金を、皆さんのために「八戸ブイヤベース」として還元するって感じなんです。

 

W 完全に非営利なんですね。

 

完全に非営利です。

 

W お金を出し渋る人とかはいなかったんですか?

 

もちろんいますよ。でも、別にいいんです。金がないなら知恵を出せ!を地で行くまでだし(笑)あくまで、出来る人たちと出来る範囲で出来ることをやろうっていうのが最初だったので。そう考えれば、はじめは地域全体で何かやるっていう発想ではなかったんですね。

海なしの津軽から

南部の港町へ

会社員が町を変える!?

1年目の八戸ブイヤベースのポスター

提供:八戸ハマリレーションプロジェクト

八戸ブイヤベースフェスタって何!?

 

 

 2月から3月の2か月間、八戸市内のレストランでそれぞれに趣向の凝らされたブイヤベースを楽しむことが出来るイベント。ルールは2つだけ。

 

①八戸産の魚介類をふんだんに使用!

地元八戸の漁港でとれた魚を最低4種類以上使い、野菜類も出来るだけ地元産の物を使うこと。

②八戸流は2度おいしい!

魚介の味を生かしたスープ料理として楽しんだ後は、スープを活かした各店オリジナルの「締めの一皿」を用意すること。

 

詳しくは八戸ブイヤベースフェスタ特設サイトへ→http://hhrp.jp/hbb

Writter

スズキ カイト

弘前大学2年生

文庫本をコートの内ポケットに入れるのがお洒落だと思っている。

 

函館で青森のりんごを

物々交換してきちゃいました。

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