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畑澤 聖悟さん

【これから渡辺源四郎商店さんのことについてお聞きしますが、その前に弘前劇場に入ったきっかけとやめるまでの経緯を教えてください】

弘前劇場は当時、東京で公演を定期的にやっていて、それは東京に行かなくても演劇活動が出来るってことだった。それは当時ものすごく幸運なことだった。いま、なべげん(渡辺源四郎商店)を青森でやっているのもそういう思いがあって。みんな東京に出たり、仙台に出たりしているけど、でも青森にいても芝居は出来る東京の最前線で芝居やっている連中と同じ土俵で戦ってなおかつちゃんと評価されるクオリティを持っている劇団が青森にあるなべげんはそういう受け皿になりたいと思っている。「青森で演劇をやって生きていこう」ってとりあえず決意した理由っていうのはそういうのかな。んで、弘前劇場をやめたのはね…んー、一言でいうのは難しいな。やめないとモノが作れない状況だったんだな、とにかく。

 

W 何で青森から出て行っちゃうんですかね?

  東京でしかできないと思っちゃうんですかね?

だって、東京で役者やってある程度成功したらテレビに出られるし。あとは演劇部に入っている連中の多くは声優志望で。青森じゃ声優になれないから出て行っちゃう。うーん…でもね、だからって、みんな東京に行ってしっかり自己実現できているかといえば残念ながらそうでもなくて。たとえばなべげんは東京下北沢のザ・スズナリという劇場で、毎年春に公演してもう9年目になるんだけども、ザ・スズナリで公演を打てる小劇場の劇団はそんなに多くない。

 

W そんなに有名な劇場なんですか?

うん。東京の小劇場って出世すごろくみたいになっていて。「スズナリ進出わーい!」みたいな。でも、青森でなげべんに入ったら、毎年普通にスズナリでやっているよ?みたいな。

 

W じゃあもう、あっちの人とかは「せっかく青森から出たのに」って思うかもしれないですよね。

それは選択だから。例えば、東京に出て埋没するよりはなべげんに入った方がいいんじゃないの?とは思うけども。でも、いろんな生活を含めて都会に住むとか、みたいなところも含めて東京だから。

 

W HPに青森市内の空き店舗を劇場に改造する「セルフビルド120日間の挑戦」を開始ってあったんですけど、劇場は自分たちで建てたんですか?

うん、だから、それはね、東京でやれることを青森でやらない。ってのが、基本だと思うのよ。例えば、俺はなべげんでは東京が舞台の芝居は書かない。そして、日本のどこででもやれる芝居は書かない。これは、青森みたいな本州の端っこで、平均寿命が日本最下位で、最低賃金も最下位近くを争っていて、自殺率も高い。そんなところに住んでいる立ち位置から、世間を見ている。そんな視点を持ってなきゃいけない。

 

 

W 青森にいるからこその視点。

うん。それは、なんていうかな。東京の作家が書いて、「渋谷がさあ~」とか「山手線がさ~」とか言っているような芝居をね、青森の劇団が上演することに何の意味があるんだ、と。ましてやその芝居を東京で上演できるのか、と。仮に上演できたとしても青森で作った必然性みたいなものが担保されてないとダメだと思う。高校演劇でもなべげんでもそうなんだけど、そこが一番大事で。

 

それと同じ考え方で、東京の演劇人が出来ないことって何かっていうと、だいたい自前の劇場を持ってない。そりゃメジャーな劇団は持っているけど、普通は考えられないような遠い場所に稽古場や倉庫があったりとか、稽古場をレンタルで借りて転々としたりしている。自分たちで自分たちの劇場を作る。そこで芝居を0から作って公演もやって打ち上げもそこでするっていうことは、東京ではかなり難しい。でも青森だったらできる。演劇人として幸せを深めるというか、ハッピーを上げるためには、やっぱ手作りだよね、と。手作りの空間で、手作りの芝居を作る。これが「豊か」ということだ、と言い張ろうと決めた。

 

だからね、セルフビルド120日間の挑戦は、つぶれたパブみたいなところを借りて劇場に改造して、こけら落としの公演やるまでが120日間っていう、しかも手作りで。しかもワークショップで。それでオープンした「アトリエ1007」は1年でなくなっちゃった。商店街に空き店舗を借りて、「商店街に劇団が来るとにぎわいますよ」って一生懸命アピールしたんだけど、アピールしすぎちゃったのかどうか、そこ売れちゃったんだよね。

 

 

W それはスゴイ!

で、売れちゃったので、青柳の廃レストランに引っ越して、そこもセルフビルドで劇場にした(アトリエ・グリーンパーク)。8年目に引っ越して、ここ(渡辺源四郎商店しんまち本店)で3つ目。今年で創立10周年なんだけど、3回もアトリエが変わってる。

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【最後に学生に一言お願いします】

自分の好きなことを仕事にするっていうことはものすごく難しくて。東京に行かなければ叶わないこともたくさんあって。だけど少し考えて、少し情熱があれば、どこに住んでいても、面白い生活をすることはできるだからとりあえず青森に住むとか、弘前に住むでも八戸に住むでもいいんだけど。「この街に住んでいるからできること」を考えて、自分のやりたいことと重ねていけばいいそっからアリバイ作りをすればいい。周囲の状況を少しずつ変えていけばどんどん自分の生活が楽しいものになっていくはず。そうすればたいていのことは叶うんじゃないかなと思うので。

 

 

【教員と演劇という二足のわらじを履いていますが、演劇一本でやろうとは思わなかったんですか?】

演劇一本でやろうと…。やればできたよね。大学卒業する時に教員採用試験に受かっていたので、そこはずるずるといっちゃたんだけど。でも弘前劇場に入ろうと思ったときに、やめて東京に行く手はあったんだけど、地方にいて、東京でも演劇をやる、やりにいける環境の方が素敵だと思ったんだよね。で、演劇をやってきた演劇人としてのスキルは、教員としてのスキルとだいぶ重なっているので。

 

W といいますと?

たとえばその、なんていうのかな。人にどうやったらものが伝わるかっていう仕事だから。教員もそうじゃない。どうやったら話が伝わるかっていうことのプロだから。やっていることそんなに変わらない。俳優のスキルっていうのは教員のスキルとかなり重なっている。たとえば話の下手な校長先生っていうのがいて、だけど話のうまい校長先生もいる。で話のうまい校長先生の話はみんな聞くんだよね。何かっていうと聴かせるテクニックがあって。それはテクニックなの。単純に人柄とか才能ということではなくて、すべてテクニック。で、やっぱりそういうスキルを積み重ねる仕事は、俳優の仕事ととても似ている、隣接している、と思っていて。だからさっきも言ったんだけど、教員と演劇の二足のわらじとかっていうけど、まったく重なっているところも、重なってないとこもあるけども、そんなに離れたことやっているとは思わないし。

 

あとは高校演劇っていうのは、なんていうかな…。なんか、なべげんは青森における使命っていうか。劇団員を演劇的に幸せにしなきゃいけないとかね。そんな使命というかミッション感みたいな、そういうのが割とあって。劇団経営って大変で、ものすごい気を遣うしストレスも多いし、いろんな人と付き合ってかなきゃいけないし、みたいなことがあるけど、高校演劇っていうのはあんまりストレスがない。シンプルだもん。部活動だし。で基本的に部員の幸せを考えてればよくて、それはコンクールでね、わけのわからない審査員にあたったりするみたいな嫌なこともあるんだけど、でもそんなのは大したことなくて。あとは高校生の方が、可塑性がある。すぐにうまくなる。信じられないくらいすぐにうまくなるので、ああいうのを見ているのが楽しいよね。だから道楽ですよ。最強の道楽。

 

舞台写真 渡辺源四郎商店第22回公演『海峡の7姉妹〜青函連絡船物語』(作・演出:畑澤聖悟)提供:渡辺源四郎商店 撮影:山下昇平


 

秋田県出身。

劇作家・演出家・放送作家。劇団「渡辺源四郎商店」店主。現役の高校教員で、演劇部顧問として全国大会出場合計8回。そのうち最優秀賞を3回受賞。

 

舞台写真 渡辺源四郎商店第22回公演『海峡の7姉妹〜青函連絡船物語』(作・演出:畑澤聖悟)提供:渡辺源四郎商店 撮影:山下昇平


 

Writter

クマガイ コウキ

青森県立保健大4年

函館で青森のりんごを

物々交換してきちゃいました。

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