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畑澤 聖悟さん

【最初に、演劇を始めたきっかけを教えてください】

演劇はねえ、あれだよ、あの、高校の大学受験の勉強をしている時に、深夜徘徊をしていて。23時とか24時頃に自転車に乗って、こう、秋田駅前に行くんだよね。んで、深夜営業って当時はまだ、セブンイレブンがやっと出たくらいの頃で。だから、コンビニとかが全くないの。まだ、ローソンもデイリー(ヤマザキ)も無い時で。で、遅くまで開いている本屋さんに行って、「ガラスの仮面」を1巻からずーっと読むの。当時、ガラスの仮面自体はまだ20何巻ぐらいしかなかったんだけども。それを読んでいるうちに、「俺はこれが出来る!」と思って。いいんじゃね!?と思って。

 

W 演劇ができると思った根拠とかはあるんですか?

全然ない。大学に入ったら、演劇をやろうと。

 

W 「出来るからやろう」と?

そう。大学に入ったのは、高校の時に少女漫画にハマっていて。当時の少女漫画、80年代の少女漫画ってすごくて、白泉社の「LaLa」とか「花とゆめ」とかが男性読者を獲得し始めた辺りで~(中略)~、少女漫画家になろうと思って。

 

W え!?

デッサンとかちゃんと勉強しようと思って、秋田大学の教育学部の美術に入ったの。で、バスケットで東京の某私立大学から推薦が来ていて、そっちで行くっていう手もあったんだけども…でも、東京に行こうとは思わなかったの。

 

W 推薦を蹴って秋田の大学で演劇を始めたということですね。

そう、1年からずっと。

 

W 実際に「出来る!」と思って出来たんですか?

うん、出来た。

 

W すごい(笑)

やっぱりバスケットボールの競技生活が中学校、高校で6年あって、何も無駄になってなかった。足腰もあったし、体も出来ていたし、声出しで普通に発声練習しなくても普通に俳優の声が出せたし。そう考えると「無駄なことは何もやってなかった」という風には思っていたけれど。

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秋田県出身。

劇作家・演出家・放送作家。劇団「渡辺源四郎商店」店主。現役の高校教員で、演劇部顧問として全国大会出場合計8回。そのうち最優秀賞を3回受賞。

 

【秋田県出身ということですが、なぜ青森に来ることになったんですか】

大学卒業して教員になる・・・教育学部だったので教員になるか、東京に出て演劇をやるかっていうのを考えてそんなに悩まないうちに採用試験に受かったので、そのまま教員を続けて3年くらいたったのかなあ。で、赴任したのが比内町(現在の大館市比内)の中学校で弘前に弘前劇場という劇団があるから、比内からだったら1時間ちょっとくらいで着くからやれる(通える)なっていうことで、仕事をやりながら演劇をやるっていうのが可能なんだっていうことを考えて、弘前にとりあえず住んで、秋田の比内まで通勤してって生活が4年くらい続いたかなあ。

 

W 4年間もですか!

うん。で、ちょっと大変だから青森県の採用試験受けちゃえ、と。秋田県で8年間中学教師をやってから青森の高校の教員採用試験受けたわけ。中学教員って大変なのね、やること多くて。部活動は多くてバスケット部をやっていたから土日もなしで、ほとんど余裕がなくて、時間的に。これで演劇を続けるのは無理だから高校教員になろうと

 

W なるほど。どうして青森市を選ばれたんですか?

青森は最初に赴任した学校が青森中央高校だったから、それでですね。27歳の時に赴任したんだったかな。で、演劇をやっていると休まなければならない時もあるんだな。学校休むのって大変なわけ。外で演劇なんかやっている教員がいるっていうことは管理職にとって煙たい事なので。じゃあ、外で何か活動している人間がいることは良いことだと思わせなければならなくて、そのために演劇部指導しますみたいな。それまで全然演劇部の指導とかしたこと無かったんだけれど、そこから始まりましたね。アリバイですね。

 

W アリバイで始められたんですね。

  では、初めはそこまでやりたいと思われていなかったんですか。

積極的にやりたいとは思わなかったけれども、でも、なんていうのかな、部活動の指導は基本的にボランティアだから、どうせ情熱も時間も労力も取られるなら無駄にならないことをやりたいと。演劇部を指導するなら、それは自分の演劇活動と重なるから、なんていうかな、やりたくないことをやる時間が減るっていう。最初は学級担任とかやっていたんだけど、生徒会担当で行事屋みたいなことを今は長くやっていて、これは演劇でやっていることと大きくは違わない。いや違うんだけど、同じモードで燃焼できる。そうやって職場環境を自分の能力が最大限生かせるように変えていくっていうか。

 

W それに対して、周りの先生方は何も反対とかはしなかったんですか?

賛成っていうか、簡単に言うと実績ってデカくて、全国大会で最優秀獲ったり、被災地応援公演を5年続けたり、海外で公演したりすると否応なしに周囲が認めてくれるようになる。それは学校自体の誇りだから。学校に自慢できることがあるっていうのは全校生徒の誇りに繋がる。「ウチにはすげえ演劇部があるぞ」みたいな。就職や進学の面接試験でも胸張って言えるし。ところが赴任した当時、90年代後半の青森中央高校では演劇部は虫けらだった。強豪の運動部員がスクールカーストの一番上にいて、普通の運動部員がその下。部活を何もやっていない子がその次で、文化部は一番下にいるの。

 

W 何もやっていない子よりも下?

下なの。だから運動部員が平気で嫌がらせする。演劇部が部室で普通にまじめに活動していると、廊下をランニングしている運動部員が部屋のドアを蹴って威嚇したり、雑巾を投げ入れたり。

 

W スクールドラマみたいですね。

ほんとほんと。そういう野蛮なことがいっぱいあった。

美術部の顧問もやっていたんだけど、廊下に絵を飾ると片っ端からいたずらされて。「文化部が偉そうにすんな」みたいな雰囲気があった。「どうせ、あたしら虫けらですから」って、ホントに言ってたの当時の演劇部員が。悔しいじゃないの。だったら演劇部だってスゲエんだぜ、って認めさせよう。それには実績作るしかない。練習キチンとやってます、奉仕活動で校内清掃もやってます、っていうのは凄く見えづらくて、それはそれで素晴らしいんだけど、でも実際に認められるにはぶっちゃけ実績。地区大会抜けて県大会行ってやるぞ、みたいな。高校演劇って地区大会、県大会、ブロック大会、全国大会って続くコンクールが中心で、「コンクールがあるから高校演劇は駄目なんだ」なんて人もいるけど、俺はそうは思わない。部活動にはわかりやすい目標が必要。部活動である以上は上位大会を目指さないと。実績がないと誰も認めてくれない。虫けらって言われてもいつまでも言い返せない。

舞台写真 渡辺源四郎商店第22回公演『海峡の7姉妹〜青函連絡船物語』(作・演出:畑澤聖悟)提供:渡辺源四郎商店 撮影:山下昇平


 

Writter

クマガイ コウキ

 

青森県立保健大4年

 

函館で青森のりんごを

物々交換してきちゃいました。

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