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りんご飴マンさん

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東京都出身。

都内で7年間の社会人生活を経て、2015年4月に東京の高円寺から青森県の弘前市に”お引越し”。自称「生キャラ」として、りんご飴の魅力を伝えるべく県内で行われている様々なイベントに参加して活躍している。好きな歌手は「CHAGE and ASKA」や「水曜日のカンパネラ」など。

 

Webサイト りんご飴[ringo-a.me]-泣く子が叫ぶ爆発りんご飴サイト http://ringo-a.me/

1章 りんご飴マンって何者?

 

青森なのに、りんご飴ないの!?

 

W:りんご飴マンの活動は、なぜやろうと思ったんですか?

 

元々は東京でringo-a.me(※1)っていうサイトを運営していたんです。りんご飴を持っている女の子って可愛いよねっていうきっかけで作ったサイトなんですけど。最初はモデルさんに飴を持ってもらって撮影していたんですよ。

 

それはそれで楽しかったんだけど、反響が鈍く自己満足なとこもあって。もうちょっと面白いことがやりたいと感じたから、ハロウィンの夜にりんごの被り物を装着して、顔を赤くして、歩いてみたんです。そしたら予想以上に面白いって言ってくれる人が多かったので、やり始めました。

 

 

(※1)りんご飴マンを含めた3名で運営されているウェブサイト。「美女×りんご飴」など様々なコンテンツを提供している。URL http://ringo-a.me/

 

 

W:そうなんですか…。最初は青森全然関係なかったんですね。

 

関係ない関係ない(笑) 1mmも関係ない。

 

W:なぜりんご飴を選んだんですか?

 

なんかいいなって思ったんですよ。でも、そういう曖昧なものって、風化しちゃうじゃないですか。それを形にしたかったんですよね。人がなんかいいなって思うのって、絶対何か理由があると思うんです。

 

しかも、りんご飴を嫌いな人ってあんまりいないじゃないですか。アイテムとして、アニメやドラマの夏の屋台に風物詩として絶対描写されるし。それで、りんご飴のことをもっと知りたくて、りんごと言えば青森だろうって思ってりんご飴のサイトやろうって思った1週間後に青森に行ったんです。

 

W:すごい行動力!

 

で、行ってみて衝撃を受けたことが、どうやら青森にはりんご飴が無いらしいと。青森なのにりんご飴が無いんだってショックを受けて、一回やめようかなって思ったんです(笑)

 

W:そうなんですか(笑)

 

そのときは、とても落ち込んで、普通にお酒を飲んで帰りました。ただの1泊2日の旅行みたいな。転機になったのは1年後ですね。たまたま「りんご娘」(※2)っていうアイドルの存在を知ったので、ringo-a.meの撮影で青森県に来たんです。そうしたら色んな人がりんご飴マンを気に入ってくれて、イベントとかプロジェクトに誘われるようになっていきました。月1くらいで青森、弘前に来るペースでしたね。で、気がついたら住んでいたみたいな。ハショリましたけど(笑)

 

(※2)青森県弘前市を主な拠点にしているご当地アイドル。

 

 

W:住んでみてから、具体的にどんな活動をしているのか、周りの人に聞かれませんか?

 

「本職は何?」とか、「普段は何をしているの?」とかは聞かれますね。りんご飴マンです!って感じですけどね。具体的にはイベントでりんご飴を販売したり、自分で勝手に企画をして何かをやったりとか、依頼されたときに企画を書いたりとか。あとは稀ですけど、演劇の脚本を書いたり、曲の作詞をしたり。一つも過去にやったことはなかったんですけど、とりあえずやっていますね。

 

W:それって未経験でもできるものなんですか?

 

ノリですよ。クオリティは…まぁアレですけど(笑)。

 

W:すごいなあ。ノリでどんどんやっていって、今の活動になったということなんですか?

 

まあ端的にいうとそんな感じです。

りんごの被り物は高いのでカニの手足をもぎ取りました

 

W:その被り物もノリで作ったんですか?

 

ノリっていうか、単にりんごの被り物が高かったんですよね。初めのころはハロウィンの一回で終わる予定だったから、コスパを良くしようって思って、安く売っていたカニの被り物を買って改造しました。

 

W:カニなんですか!?(笑)

 

そうそう、カニ。手足もぎ取って。これ目ですよね。

 

W:確かに昔の名残がありますね(笑)。

W:今では、被り物を身に付けて、祭りや曳家工事など色々と参加されていますよね。ああいうのはどういう基準で選ばれているんですか?

 

シンプルに予定が空いていたり、イベントが注目されていたりすれば行くって感じです。

 

W:これがやりたいから行くっていうのはあるんですか?

 

ないです。とりあえず行ってみるだけ、みたいな。

2章 こじらせていた学生時代・のめりこんだ社会人時代

 

やりたいことが無かったんです

 

W:では、学生時代の話もお聴きしたいんですが。

 

うんうん。

 

W:学生の頃、今の姿を想像していましたか?

 

1mmも思っていなかったね

 

W:そうなんですか。高校時代に部活動はされていましたか?

 

いや、部活はせずにバンドをやっていた。サークルとかじゃなくて、完全に有志で。

 

W:バンドを!ライブもされていたんですか?

 

ライブもやっていたけどヘッタクソだったね!まぁ下手だった。文化祭にも出たけど下手クソだから笑われたし、バンドをやっていたのに少しもモテませんでした。演奏技術があるかって言うとそうでもないし、中途半端だったな。

 

W:学生の頃になりたかった夢とかはありました?

 

いや、結局本気でなりたいと思っていたものって無かった。例えば、大人気の俳優が美容師を演じているドラマを観たから美容師になりたいとか、具体的な夢はなかったけど何かに影響はされやすかった。高校の頃は完全にこじらせ系男子だったね

W:では、大学生のころはどうでしたか。

 

勉強熱心じゃなかったですね。そのツケが回ってきて、就活でもばたばた落ちるし、結構厳しかったな。そして大学でもこじらせ系男子だったね

 

W:その時には、すでにやりたい仕事とか決めていたんですか?

 

無かった、無かった、本当に無くて。ただ、その当時からインターネットが好きだったんです。好きって言っても、デザイナーとかクリエイターになりたいわけじゃなくて、取り敢えずネットサーフィンが好きだったぐらいなレベル。

 

W:へぇ~。

 

ネットで情報を調べるのとか好きだったし、いつまでも見る事ができちゃうみたいなさ。ネットが苦だと思ったことはなかったから、ネットをうまく使った、何か人の役に立てる仕事に就きたいなあと思って探していたら、たまたま広告代理店っていうのを見つけたんです。そしてその業界の企業を受けていたら、とある都内の会社から内定を頂いたから、そこに決めたって感じでしたね。

 

W:どうしてもなりたい職種や入りたい企業があった訳では無かったんですね。お仕事はどんな感じでしたか?

 

辛いことも沢山あったけど結論を言えば楽しかったね。

 

W:何が楽しかったっていうのは具体的にありますか。

 

自分が提案したものが、形になることですね。世の中に、自分が提案した広告が出ていたり、それで企業やお客さんに貢献できたり、そういうことに喜びを感じていたね。

 

あと、やっぱり興味があることだからとことんやりたいんだよね。だから基本的には終電で帰るし、夜2時ぐらいに寝て、朝7時に起きてっていう生活をずっと繰り返すわけですよ。

 

W:すごいですね…。そういう生活がやっぱり大変だったっていうことですか?

 

うーん…まぁ、慣れちゃえばそんなでもないけどね。土日は普通に休めるし、苦ではなかったね。好きでやっているっていうか、そんなに嫌ではなかった。

W:広告がみんなの目に見られるのがやりがいの一つだったみたいな。元々、そういう見られたいとか知られたいって気持ちは心の中にあったんですか?

 

なんかね、誰かのために役立つことをするのが昔から好きなんですよ。だから自分のことはぶっちゃけどうでも良くて。

 

W:え!? そうなんですか?

 

うん。だから、自分だけに損得があるようなことにすごく雑なんですよ、僕。例えば、部屋がむちゃくちゃ汚いとか、食べ物をそのままにするとか、影響範囲が自分の中だけに留まるようなものには、脇が甘いんですよ。でも、人が来るって言ったらきれいに片づけるし、人と旅行に行くとかだったらきっちり自分でプランを立てて、あっちは付いてくるだけでいいようにするとか、人に喜んでもらうことを極度に気にする性格みたいなんですよね。

 

W:自分よりも他人が大事っていうことですか?

 

うん、自分にあんまり興味はないですね。他人が喜んでいるのがいいみたいな。

やりたいことが無いとおかしいなんて大間違い

 

W:高校、大学、社会人時代について伺いましたが、学生時代の経験は今に活きていますか?

 

学生時代の積み重ねが今の形になっているかって言えば、間違いなくなっていないです。正直に言えば、僕は就職してから「インターネットって面白い!」と強く感じました。そして、発想ひとつで世の中を面白く出来るネットの可能性は無限大だなって思ってのめりこんでいきました。それが今に繋がっているのかもしれないですね。

 

W:社会人生活を通して夢中になれることを見つけていったんですね。でも、学生時代、やりたいことが決まらないまま時間がどんどん進んでいくのは、焦りませんでしたか?

焦りはそこまでなかったね。周りにも自分と同じようにやりたいことが無い人がいて、「周りがこうだからいいや」って比較して安心している自分がいたんだよね。逆に「自分の夢はこうなんだ!」って決め付けで視野を狭くして、迷走している時代もありました。

 

たまにさ、「いつまでに俺はこれをやりたい」って具体的なビジョンを持っている人とかいるじゃない。そんなの僕にはないのに、はっきりとした夢を持つ人を見て羨ましくて、「自分もやりたいことを見つけなきゃいけないんだ」って勝手にやりたいことを探したりしたんです。でも、なにか挫折があった途端「これって別にやりたくない」ってなって、すぐにあきらめるんです。

 

W:それは何故ですか?

 

だって別に本心でやりたいと思ってないんだもん。僕はやりたいことが明確になかったんだけど、たまたま知った仕事を自分が本当にやりたい事だと思い込んでいたんだ。

 

でも、あるものありきで決めつけることって絶対長続きしない、そう思わない?譲れない何かがないと、何か挫折したりだとか、自分が想像したものと違ったりしたときに、心が萎えるよね

 

今、世間では、就活とか人生のターニングポイントの時点でやりたいことが決まってないとダメみたいな風潮ってある気がする。でも、それって大間違いだと思っているんですそもそも大学という狭い領域の中で体験できるものって、社会人に比べたらものすごく小さいものだと思うんですよ。あ、別に大学を軽視している訳では全くないですからね(笑)ただ、社会に出ると世界が広がっていろんな人と会えるし、ビジネスのメカニズムも分かる。世の中のカラクリがようやく分かる訳ですよ。それを知らずにやりたいこととかを思っていても…。

 

例えば、僕が広告マンになりたいと思ったのも「なんとなくかっこいいから」なんです。かっこいいなとか、CMとか作っちゃっていいなって思っていて。でも、実際にやってみるとギャップが生じる。それって単に自分の思い込みが引き起こしているんですよね。だから続けていくには思い込みではない、譲れない何かが大切なんじゃないかな。

3章 りんご飴マンを支えるもの

 

喜んでくれる人がいるから続けられるんです

W:譲れないものがある人は続くとのことですが、りんご飴マンさん自身は「やりたいことはない」ともおっしゃいましたよね。そんな飴マンさんが、この活動をどうして続けてくることができたんでしょうか。コツというか、秘訣というか。

 

多分、自分がやっている活動を求めている人とか、それを喜んでくれる人、役に立っている人がいるってことが少なからずわかっているからだと思うんだよね。

 

W:どんな時にそれを感じるんですか。

 

誰かに褒められたり「ありがとうございます」って感謝の言葉を貰ったりした時ですね。自分がやっていることって、必ずしもマイナスではないんだな、誰かの役には立っているんだなってことが実感できているから続けられているんだと思うんですよ。例えばりんご飴マンって、すごくふざけたキャラクターだし、静止画で見れば「なんだコイツは!?」って感じなんだろうけど(笑)。

 

W:たしかにちょっと怖いです(笑)。

 

だよねぇ(笑)。だから最初の頃は某掲示板ですっごく叩かれたし、「地方だとこういうことするやつすぐ出るよな、終わってるわ」みたいなことを書かれて、とても落ち込んだんです。でも、よくよく考えると周りには「この人はリンゴ飴のこと広めるために本気でやってくれているんだよ」って言ってくれる人もいたり、「この人のリンゴ飴って凄く美味しいらしいよ」とか「根は真面目なんでしょ」とか言ってくれたりする人もいて。

 

W:支持してくれる人も大勢いたんですね。

 

それは、たぶんringo-a.meのサイトで発信していたからなんです。愚直に発信しているのを見てくれていた人がいるから、フォローしてくれているんだと思う。だから、発信することはすごく大事だよね。思っていただけでは誰にも伝わらないからね

 

W:飴マンさんから見て、僕たち学生って、それをできているでしょうか?

 

どうだろう。でも、特に青森の人は思っていること言わないよね。例えば、間違えた時のリスクを考えて手を挙げて発言しないとか、こっちの人って笑われることを極度に嫌うような気がしているんですよ。逆に、手を挙げて発言するような人に対しては「なんだこいつ意識高いな」って、ちょっとバカにするような風潮が強い気がする。たぶん、横並びになっていたい、一人で目立ちたくない、注目を集めたくない「笑いたいけど、笑われたくない」って意識があるんだと思うんです。人の事を嘲笑したり、自ら笑わせたりするのは良いんだけど、意図していない所で横から笑いに入ってこられるのが嫌だと。そんな意識があるのかもしれないね。

 

やってみないと分からないことが99%

 

W:「笑いたいけど、笑われたくない」確かに私自身としても思ってしまうときがあります。飴マンさんがやってきたように笑われることを恐れずに、発信できるようになるには何が大切なんでしょうか。

 

とりあえずやってみることなんじゃないでしょうか。僕は一回しかない人生なんだから少しくらい話題になって死にたいと思っているんです。人に笑われることを恐れて安定を求める人生を面白いって思わないし、もうちょっとバカやりたいなって思うから(笑)

 

でも、学生のみんなも絶対どこかで思っていることだと思うんだよね。もし自分にものすごいスキルがあったら、それで稼ぎたいと思うし、それで有名になりたいとか称賛されたいとかいう自己欲求的なものがあるのに、今の自分には何もないからって感じで諦めている人もいる。けれども、そういったものって、さっきも言ったように大学だけで判断できるものではないので、むしろ社会人になってからがスタート的な気持ちでいいんじゃないかなと思っています

 

僕がそうだったように、社会に出てからいろんな事を知るから。今まで何にも特にやりたいことが無かったけど、社会人になると「こんな面白いことがあるんだ」、「こんな面白い人たちがいるんだ」って初めて知ったんです。そういう経験をちょっと離れた視点で見ることで「これがやりたいかも!」っていうことにようやく気付いたんです。

 

例えば、大きなパズルがあったとして、真ん中にあるのが自分のやりたいことだとしますよね。それに気づくためには、周りのピースが必要じゃないですか、パズルって。でも、僕には真ん中のピースを見分けるための外側のピースが無かった。

だから、社会人生活の7年間で外からパズルを埋めていったんだと今振り返って思います。パズルの外側を埋めていくことで真ん中にはめ込むピースの形が少しずつ見えてきたんですよね。うっわ、なんかすごい恥ずかしい例え話しちゃった死にたい。

 

でも、経験しないと分からないんだから、色んなところに飛び込むことが大切だと思いますよ。とりあえず、やってみないと分からないことが、99%だと僕は思っていて。だから僕は弘前にとりあえず来てみたんです。来ないと分からないことが有ると思ったから。

 

W:「とりあえず来る」って、口で言うのは簡単でもなかなかできないですし、勇気が要りますよね。飴マンさんを突き動かしたものって一体何なんでしょうか?

 

それは3つあって。まず1つ目はやってみないと分かんないなっていう単純な好奇心。2つ目は色んな人に出会うなかで蓄積されていったここがすごくいいところだっていう感覚。3つ目は、自分が弘前で活動することで、なにかしらに貢献できるというなんとなくの自信。その3つがあった。だから、飛び込んだよね。

 

全く何も知らない環境で行っていたかというと、もしかしたら違うかもしれない。でも、2・3年前の活動があったからこそ、今こうして来ている訳だよね。実際に弘前ってところに行ってみて、すごくいいところだし、自分がやりたいこととかアイデアが喜んでもらえているっていう実感をコツコツ積み重ねていけたから引っ越しできたんです。

 

だから、経験をしないと次のアイデアも浮かばないし、行っていいのかっていう自分の中でのジャッジもできないという意味で、まずはやってみるべきだと僕は思います。

 

頭頂部にはカニ時代の面影が残っている

スーツに着替えたりんご飴マンさん

函館で青森のりんごを

物々交換してきちゃいました。

青森なのに
りんごの被り物
やりたいこと
やりたいこと
喜んでくれる
やってみないと分からないことが99%
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