木村 省子さん
【木村さんご夫婦は、BANCAFEと万華堂という雑穀を使った料理店を経営されていますがどのような経緯で始められたのですか?】
NPOのお誘いがあったのがそもそものきっかけですね。お誘いしてくださった方が雑穀とかに興味を持っている方で、雑穀についてお話を伺ったんです。
今アトピーとかそういうアレルギーを持つ方がすごく増えているじゃないですか。それで、女性とかママさんがね、子育てにすごく苦労しているっていうのを目の当たりにする機会が増えてきたんです。私も子を持つ親としてその大変さはとても理解できて。でも、そういった人たちが安心して食べられる雑穀の専門店が青森にまだ無かったので、「じゃあ、私たちがこれを普及するしかない」って思って開店しました。
【雑穀を普及するためになぜ料理店を立ち上げることを選ばれたのですか?】
昔、首都圏の方に委託をしようと考え、お話をした時に数字でしか判断してもらえなかったことがあったんです。でも、それじゃあ、現場のものの良さはちゃんと伝えられないと思いました。それで、雑穀の本当の良さを発信できるのは現場にいる自分たちだなと再認識したんです。加えて、青森が元気になる起爆材は青森の食べ物だと思ったので、それを何とか発信する役目をやろうと。そういう経緯で私と夫が口となり、直接お客さんに雑穀の良さを伝えるため、長年勤めていた会社を辞めて夫婦でお店を立ち上げました。
【脱サラして独立をするというのは怖くありませんでしたか?】
やっぱり、怖かったですね。夫婦揃って会社を辞めるっていうのはちゃんとした定収入がなくなることなので。本当に怖かったです。元々、夫は昔から農業に関する事業を立ち上げたいという強い気持ちがあったらしくて、そんな彼の「大丈夫だ」って力強い言葉に支えられて決断しましたが、恐怖は常にありました.
でも、もし、私が夫の立場だったとしたら、人生の中で「今」って感じる瞬間って、あと、もう無いかもしれないって思ったんです。それなら彼を支えるために私も一緒にがむしゃらに働けばいいんだって思って。そう考えたら、実際怖かったけれどやれちゃいました(笑)


青森市出身。専門学校入学を機に上京。卒業後大手証券会社、製薬会社等で勤務したのち、青森へ戻る。その後NPO青森新鮮組の立ち上げに参加し、青森市に雑穀食品専門店『万華堂』を開店。平成25年4月から青森公立大学及び国際芸術センター青森にて『bancafe』を営業中。
まわりと歩幅を合わせた学生時代を過ごした
そんな彼女が今気づいたことは
「年を取るたび心臓に毛が生える」こと
男前ならぬ、『女前』な彼女の夢とは
【これからの木村さんの夢はなんですか?】
点在している企業組合の業者をひとつに纏めた企業組合村って施設をつくりたいですね。そこで、若い人を雇って雇用を増やしたい気持ちもあります。青森を元気にするにはもっと若い人がいっぱいじゃないといけないので。
こんな風に、私たちが将来働く場所を作りたいって言うと「うそでしょ」「大丈夫なの」ってみんなに返されるんだけど(笑)
でも、信じてやっていれば絶対に、絶対にやれるんじゃないかと思うんです。今回の独立の件も「え~~~!!!」って周りには言われていましたけど、「もう、これ!」って思ってやっていたらやれましたし。松下幸之助さんが途中でやめると失敗になるけど続けると成功だっていうふうに言っていたから、そういうのを信じて地道にね、続けていきました。潰れてしまうと変えられないので、皆さんの中にも「失敗したらどうしよう・・・」って思う人もたくさんいると思うんだけど、信じ続ければ、絶対大丈夫だと私は思うんです。
【力強いお言葉ですね。では、最後にこれを読んでいる学生に一言お願いします。】
私は高校、専門学校の時も学食がない学校で過ごしたんですよ。だから、すごい学食とかそういう学校の中の食べる場所にすごく憧れていて、会社員になっても社食がある所ってなかったんですね。 学食や社食にすごく飢えていて(笑) そんな想いもあって、みんなに反対されながらも言い続けたんです、そしたら私の夢が叶って手作りの料理を出せる場所ができたっていうか。だから、やっぱり実現するには喋んないとダメですね。「願いは口に出さなくちゃ!」って思います!私たちも若い頃はそうだったんだけど、ちょっと、こう、プライド があるんですよ。見栄というか。ちょっと失敗したり変なこと言ったりしたら笑われるかな…みたいな。でも割と歳をとってくると心臓に毛が生えてくるんですよ。だから、私は若い時に挑戦して失敗するのは肥やしだと思うんです。
恥ずかしがらずに夢を語ったり個性を出したりしてください。私もいっぱい失敗したけど、最後に人に救われて、今思い出しても笑えるような話になりましたから.

Writter
キタムラ マサト
公立大学4年
興味関心のある分野は…。
